05.新入社員だったときの話
※今回はこのブログの趣旨とは異なり、ただの雑談みたいな記事です。
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春。年度をまたぎ、いつの間にか社会人3年目になっていた。
うちの会社でも昨日、入社式があり、新入社員へ向けて社長やら副社長やらが社会人としての心得みたいなものを偉そうに語っていた。(まあ実際偉い人たちなのだけど。)
しかし、社長たちには申し訳ないが、自分が新入社員だったときに入社式で聞いた言葉なんて何一つ覚えていない。あまり心に響かなかったのだと思う。
ちなみに、今年も社長たちの言葉は心に響かず、なんと1日寝たら忘れてしまった。
しかし、そういうスピーチで唯一覚えているものがある。それは、配属先での当時の課長の話だ。
課長は、
「本来、今日は新入社員へ向けて話す場なんですが、まずはじめに先輩社員に対してメッセージがあります。」
という前置きをして、先輩社員の方に顔を向けてから以下のようなことを言った。
「先輩社員の皆さんは、これまで社会人として色んな経験をしてきましたよね。時には苦しいこともたくさん乗り越えてきましたよね。それは本当に素晴らしいことだと思います。
でも、今日入ってきた新入社員たちが自分と同じような道を辿って成長するとは決して思わないでください。
もう時代は大きく変わっていて、今日の新入社員たちにとっての“1年目”は、私たちが“1年目”だったときとは全く違うものです。
だから、自分が若いころと照らし合わせて“新入社員ならこういうことをすべきだ”なんてことは絶対に言わないでください。」
その後、僕たち新入社員の方に顔を向けて、
「皆さんは、私たちの会社に新しい風を吹き込んでくれる大切な存在です。
みなさんの成功も失敗も、私にとってはすべてが財産です。
うちの会社に入ってくれて、うちの部署に配属されてくれて、本当にありがとう。
これから1年間どうぞよろしくお願いします。」
と言いながら深々と頭を下げてくれたのだった。
3年目になる今思い出しても、背筋が伸びる。
これからずっと4月になるたびにこのスピーチを思い出せたらいいな。
04.短歌の沼へ引きずり込みたいpart2
前回は俵万智を紹介しました。今回は藪内亮輔を紹介します。
1.作者・藪内亮輔について
藪内亮輔は若い歌人(1989年生まれ)である。
そして、短歌の「一瞬を切り取る」という性質については相当なこだわりや信念のようなものを持っているようだ。
藪内はかつて、火というものは「燃えている」という一瞬が次の「燃えている」一瞬を点火するから存在しているという旨の話をしている。*1
これは、普通の人の視点ではない。恐らく見ている世界の粒度が私たちよりもずっと細かく、そして断続的に区切られているのだろう。
そして、この視点を持っているからこそ詠めたのであろう歌が第一歌集『海蛇と珊瑚』にはたくさんある。
以下では特にそれが顕著だと思う2首を挙げて説明したい。
2.一首目
傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出てゆく
藪内亮輔「花と雨」(『海蛇と珊瑚』収録)
この歌全体としては「傘」、「あかるき」、「街」と母音が「a」の言葉が多く、明るい印象を持たせる。また描写しているシーンとしても、雪が降って明るくなった街へ出て行こうとするところを切り取っていて、やはり明るさを持っている。
しかし、ここでポイントとなるのが「一瞬ひとはうつむいて」である。
「一瞬」ということばに含まれる「i」音と促音とが刺さるように響いたあと、続いて「うつむいて」と詠まれているのだが、言われてみれば確かに、人は傘をさすとき必ず留め具やボタンをの位置を確認するために下を向いてしまう。
それを藪内はわざわざ「うつむいて」と表現することで、この歌の中に陰りを作っている。そしてそれは明るい街と対比され、より一層濃い影となって立ち現れる。
実はこの歌は全50首の連作「花と雨」の第一首目の歌である。「花と雨」は、親しい人(はっきりとした関係性はわからない)が肺の病気にかかって死ぬまでを間近で見続けた一人の人間の心情を描写した作品だ。一首目に表現されたこの影は、そのあと続く世界観を見事に表現していると言えよう。
なお、その「花と雨」は第58回角川短歌賞で大賞を受賞している。その際、選考委員全員がこの連作に最高得点票を入れたという。「全員一致の1位」なんてことは、史上初の出来事だったそうだ。当時、京都大学の大学院生(理学研究数学専攻)で、20代前半だったという。
3.二首目
雨はふる、降りながら降る 生きながら生きるやりかたを教へてください
藪内亮輔「花と雨」(『海蛇と珊瑚』収録)
この歌は「花と雨」の第43首目である。先ほど、この連作は肺の病気で死んでいく親しい人を見続けた人間の心情を描写した作品と述べたが、時系列で言うとこの43首目はすでに火葬まで終わった後である。
そのタイミングで雨を眺めながら詠んでいる(ように表現された)この歌は、一見すると意味がとりにくい。が、そのヒントは最初に述べた藪内の視点、すなわち、「火」の一瞬ごとの移ろいを見るまなざしにあるだろう。
よくよく考えてみれば、「雨」というものは「降っている」状態を維持してなければこの世に存在できない。その状態が終わったときは「水」あるいは「水たまり」となってしまうからだ。だから「雨」が「雨」でいるためには、天から地へと落ち続けなければいけない。
藪内は、これを前提とした上で、さらに、この「降り続ける」という動作は「降っている」という一瞬がその次の「降っている」という瞬間を生むという連続から成っているのだと観た。それが「雨はふる、降りながら降る」という表現であろう。
そうした雨の生き方を見つめながら、語り手(歌を詠んでいる人)は、自分も同じような生き方をしたいと考える。
つまり、「生きている」一瞬が次の「生きている」一瞬を生み出すような、前向きで未来への推進力が強い、希望に満ちた生き方である。それが「生きながら生きるやりかた」と表現されているのではないだろうか。
しかし、今の語り手は親しい人を失ったばかりで、そんな生き方は全くできそうにない。だからこそ、何かにすがるかのように「教へてください」と懇願しているのだろう。
ここでは、「教へてください」とわざわざ敬語表現にしたうえで、さらにその前に「を」を付けることでリズム感を失速させている。それによりさらに絶望感や閉塞感がにじみ出て、心の中で呟いているような、あるいは何かに祈っているような、そんな心情が痛々しく伝わってくる。
4.まとめ
「一瞬」を切り取ることの精緻さが藪内亮輔の特徴であることは上に述べてきた通りだ。それに加えて、「花」「雨」「雪」「夕ぐれ」「火」をモチーフにした作品がかなり多いことも特徴だろう。
また、どの歌でも暗くて美しい価値観が漂っている。永田和宏は藪内のことを、「声は低く、無口で、おまけに愛想が悪い。自分から楽しそうに話しているのをあまり見たことがない。」*2 と語っているから、実際かなり暗い人なのだろう。しかし、その人当りの悪さや暗さは、きっと気高さゆえのものなのだろうと、歌を読んで思う。
第一歌集『海蛇と珊瑚』の装丁は銀色を帯びた灰色だが、まさに藪内亮輔の色をぴったりとあらわしていると思う。
以下、詳しい解説はしないが『海蛇と珊瑚』の中で特に良いと思った歌をいくつか掲載しておく。
蛇口からほそい光を出しながらあなたは肺のくるしさを言ふ
おまへもおまへも皆殺してやると思ふとき鳥居のやうな夕暮れが来る
いつか死ぬあなたは死ぬと貝類を煮殺しながら泣くのだ俺は
電車から駅へとわたる一瞬にうすきひかりとして雨は降る
営みのあひまあひまに咲くことの美しかりき夕ぐれは花
いきるため光るのだけは禁じられ大きな夕暮れの葉に螢
それでゐてわたしはあなたをしなせるよ桜は落ちるときが炎だ
絶望があかるさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む